bloggerの覚悟


現場を見てハイになって語る人間に対して「社会的に許されない」と非難するということは、新聞記者などマスメディアの世界ではさんざん繰り返されてきたんです。メディア化した人間が常に体験するハイな状態とその後の鬱、表現に対する責任論からは誰も逃れられない。ですから、ブロガーにもそういう状況はすぐ来る、ということを考えないと。


 “表現”というものは、誰かを傷つける可能性がある。「誰かが傷つくかもしれないけど、やっぱりこれは誰かが書くべきだ、伝えたい」という欲求があって、批判も引き受けつつ書くしかないわけです。今回の事件で非難されているブロガーたちは、その覚悟がないまま突然海に放り込まれてしまったようなもので、精神的に参っている人もいますね。



これは自分自身が体感しないと分からないことかもしれない。
人とコミュニケーションをとるのは勇気がいることで、
1対1で言葉を重ねても理解してもらえないことなんか、日常茶飯事だ。
それが1対他になることの怖さ。


半オフィシャルなエントリーであれば、それは更に加速する。
でもそれを恐れると引用blogしか上げられなくなる。


social mediaの将来を信じるなら、自らデブリをばら撒くようなことはしてはいけない。
覚悟と矜持と事情と妥協。テーマですね。